Wednesday, December 31, 2014

ポリス・ブルータリティとは何か? (In Japanese)

ここ数日風邪で寝込んでいて、更新ができなかったのです´д` ;笑
今回は、今アメリカ全土で議論を巻き起こしている、ポリス・ブルータリティ(Police Brutality)という概念についての導入をしていきたいと思う。アメリカで問題視されているポリス・ブルータリティに関しての説明をしている日本のメディアはほとんど見受けられないというのが現状である。マイケル・ブラウン(Michael Brown)事件でさえ、読売や朝日などの日本の大手新聞社は、大陪審判決後のプロテストの規模の大きさや過激さだけを切り取るという報道の仕方であったことが残念でならない。アメリカが抱える根本的な問題についての言及はなされず、大規模なプロテストという読者が飛びつきそうな話題を報道するという実にお粗末な報道の仕方であり、日本人の読者はこのポリス・ブルータリティの問題に関しての情報が日本の報道機関からはほとんど得ることができないという状況を実に残念に思う。そのため、このブログにおいて、21世紀のアメリカが直面しているポリス・ブルータリティと人種の問題に関しての情報を日本語でできるだけ提供していこうと考えている。

初めに、ポリス・ブルータリティ(Police Brutality)という用語について説明をする必要があるだろう。この用語は、直訳すると「警察による暴力」とでも訳せるのだろう。その語の意味する通り、このブログでは「警察による暴力」と人種との間の関係について分析していこうと考えているのだが、ずっと日本に住んできた日本人の方にとって「警察による暴力」というのは、実に馴染みのない用語のように思える。そのため、このブログでは、ポリス・ブルータリティという横文字を採用することにしている。このポリス・ブルータリティには、警察官による殺傷能力の高い武器などを使用しない物理的な暴行、例えば殴る蹴るなどの行為から、拳銃等による射殺などの暴力も含まれている。

このポリス・ブルータリティを理解するためには、まず、アメリカという銃社会を理解する必要があるだろう。アメリカでは年間で約10万人以上の人が銃で撃たれているという統計データがある。(“Just the facts: Gun violence in America”. NBC News. Jan 16, 2013) 一日換算にすると、平均300人がアメリカのどこかで拳銃での被害に遭い、そのうち約90人が命を落とすという計算だ。これがアメリカという銃社会である。自分自身もこの統計を見て驚きを隠せないのだから、日本にずっと在住の方の驚愕度と言ったらより凄まじいものがあるのだろう。2008年の銃による殺人事件の件数は、アメリカが9484件で日本が11件と差が歴然と表れている。もちろん、この比較は歴史や法律といったあらゆる文脈を無視しているため、特段意味はなさないのだが、少なくとも、日本人の方にとってみれば、アメリカという銃社会の現状を想像する手助けになるだろう。
では、なぜポリス・ブルータリティが今のアメリカで問題となっているのだろうか?確かに、銃による犯罪や殺人事件が横行する銃社会のアメリカにおいて、警察組織がそれらに対抗する抑止力として、殺傷能力の高い拳銃等を使用することは想像に難くない。修正条項第2条(the Second Amendment)で一般市民に銃の所有と一定の状況下での使用が認められているアメリカにおいて、銃が関わる犯罪に対しては、「目には目を、歯にはを」の原理に基づき、警察官独自の判断で、犯罪の対処に銃を用いるというのは実に論理的なように思える。
それにもかかわらず、なぜポリス・ブルータリティが今、アメリカ全土を巻き込むような議論やプロテストにまで発展している問題となっているのだろうか。それは、ポリス・ブルータリティの被害者の多くの場合がアメリカのマイノリティグループ出身、その中でも多くの場合が黒人であるということである。さらに言えば、今回のミズーリ州ファーガソンで起きたマイケル・ブラウン事件を始め、オハイオ州で起きたジョン・クローフォード三世(John Crawford III)事件、タミル・ライス(Tamir Rice)事件などの多くのケースで、被害者が非武装の黒人青少年であるということである。もちろん、最初に述べたように、ポリス・ブルータリティは武器などの使用のない物理的な暴力も含んでいる。例えば、先日大陪審で不起訴判決で幕を閉じてしまった、ニューヨークのエリック・ガーナー(Eric Garner)事件やオハイオ州で起きたタニシャ・アンダーソン(Tanisha Anderson)事件などがこの部類に属する。今回は、前者の銃などの武器によるポリス・ブルータリティに関して少し見ていくことにしたい。
ProPublicaが提供する分析データによると、黒人の若者は白人の若者よりも約21倍も警察官に射殺されるリスクがあるという統計分析がでている。2010年から2012年の連邦が提示するデータでは、15から19歳の黒人が警察によって殺される確率が100万人中の31.17人であるのに対し、同じ年齢層の白人は1.47人という明らかな差がこれらの統計データから見受けられるのである。同記事において、ニューヨーク州立大学(State University of New York)で刑事司法学(Criminal Justice)を教えているコリン・ロフティン教授(Dr. Colin Loftin)は、FBIが提供する警察官による殺人(homicide)はあくまでも最低限度の数値しか示されておらず、実際にどれだけより多くのマイノリティ出身の人々が警察によって命を奪われているのかを知るすべはないに等しいと述べている。
また、ハッフィングトンポスト(Huffingtonpost)のBlack Voicesという特集において、警察の取り締まりや警察官による殺傷能力の高い武器使用に詳しいミズーリ大学(University of Missouri)で犯罪学(Criminology)や刑事司法学(Criminal Justice)を教えているデイヴィット・クリンガー教授(Dr. David Klinger)によると、いわゆる「正当化されうる警察による殺人」だけがこれらの統計データに載り、正当化し得ない警察による殺人のデータはこれらの統計データには反映されず、また、政府もそれらのデータ全てを記録する努力をしていないと指摘している。また、USA Todayが提示するデータでは、警察官が関係した発砲・殺人事件のうち、約4%しかFBIのデータベースに報告されていないという統計データを示している。おそらく、警察官による射殺事件において、マイノリティ出身犠牲者の多くのケースが、この「正当化されうる警察による殺人」の部類からは除外され、統計データにも表れていないことだろう。これら全てを考慮すると、実際の統計データに含まれている、ポリス・ブルータリティのマイノリティ出身の犠牲者の数は草の根のレベルでは計り知れないということである。
これらの統計データで示されているポリス・ブルータリティや警察官による殺人事件における人種間のギャップの原因はなんなのであろうか。考えられる理由の幾つかを挙げるかとすれば、警察の軍事化、警察の銃使用の規制の曖昧さ、警察組織の構造など様々な問題が考えられるのだが、大きな問題はやはりマイノリティ、特に黒人と犯罪とを無意識的に、かつ瞬時に結びつける行為であるクリミナライゼーション(Criminalization)や黒人=犯罪者というバイアスの刷り込みであるインプリシット・バイアス(Implicit Bias)などが根本的な原因であると考えられる。このポリス・ブルータリティが起こりうる原因への考察は、今後自分が勉強を進めていくにつれて、随時考察の記事をあげようと思っている。しかしながら、現在自分の見解から考察するのであれば、このクリミナライゼーションやインプリシット・バイアスがポリス・ブルータリティの原因に大きく関係していることは間違いない。この二つに関しても、随時記事をあげて詳しく考察していきたいと思っているのだが、今回の記事では導入として、ポリス・ブルータリティが、制度的な人種差別的刷り込みが引き起こす、マイノリティ、特に黒人に向けられる暴力であるということが理解できれば幸いである。これを理解することで、ファーガソンをはじめ、アメリカ全土で行われているプロテストの意味が少しずつ理解できてくるだろう。
この記事の最後に、ポリス・ブルータリティに関して3つだけ付け加えたいことがある。もちろん、この3点に関しても、随時別の記事で詳しく考察していきたいとは思っているのだが、少しここでも触れておくことにする。1つには、歴史的に見ると、ポリス・ブルータリティが突如として21世紀に問題視され始めたわけではないということである。歴史を紐解くと、ポリス・ブルータリティという問題は常にアメリカ社会に存在し、公民権運動などの時代、それよりももっと前の時代から、ポリス・ブルータリティは存在しており、21世紀に入って突如として問題になったわけではないということを知っておく必要がある。2つ目に、往々にして、ポリス・ブルータリティでは、事件を起こした警察官は不起訴処分で終わることが多いということである。マイケル・ブラウン事件や先日判決の出たエリック・ガーナー事件でも、警察官は不起訴処分で終わるという結果になった。最後に、これは重要で基礎的なことかもしれないが、ほとんどの警察官は、自分の職務を全うしており、尊敬に価する人々であるということを理解する必要がある。警察の制度的な問題や人種差別的な刷り込みが制度化されているのが問題なのである。この点を見過ごすと、連日起きている問題が、単なる黒人と警察の対立という二項対立でもって理解されかねない。問題はもっと深いところにあるということを理解することで自分も含めこの問題のより根本的案問題点が見えてくるだろう。これが、ポリス・ブルータリティと人種の関係の導入である。

<日本語の参考資料/ Reference in Japanese>

<英語の参考資料/ Reference in English>

  • “Just the Facts: Gun Violence in America.” NBC News. 16 Jan. 2013. Web. 27 Dec. 2014. <http://usnews.nbcnews.com>.
  • Gabrielson, Ryan, et al. “Deadly Force, in Black and White.” ProPublica. 10 Oct. 2014. Web. 27 Dec. 2014. <http://www.propublica.org>.
  • "21 Numbers That Will Help You Understand Why Ferguson Is About More Than Michael Brown." Huffingtonpost. 22 Aug. 2014. Web. 28 Dec. 2014. <http://www.huffingtonpost.com>.
  • Johnson, Kevin, et al. "Local Police Involved in 400 Killings per Year." USA Today. 15 Aug. 2014. Web. 28 Dec. 2014. <http://www.usatoday.com>.

Friday, December 26, 2014

クラピッシュ監督『ニューヨークの巴里夫』(In Japanese)

フランス人監督セドリック・クラピッシュ(Cédric Klapisch)の「青春三部作」の最終作、『ニューヨークの巴里夫』(英: Chinese Puzzle, 仏: Casse-tête chinois)が、12月の6日からBunkamuraル・シネマで放映開始となった。もし自分が今日本に居るのなら、ぜひ映画館に足を運んで見たい作品の一つである。本作は2013年にフランスでは封切りとなった映画で、2002年の『スパニッシュ・アパートメント』(英: Spanish Apartment, 仏: L’auberge espagnole)と2005年の『ロシアン・ドールズ』(英: Russian Dolls, 仏: Les Poupées russes)の三部作の最終作という位置付けになっている。フランス、イギリス、ベルギー、アメリカの合作であり、世界各国の都市を跨いで撮影されたという国際的な映画の連作であると言えるだろう。三作ともに共通するのは、異文化と恋愛という二つのテーマである。もちろん、その他のにも、コメディ映画としてのユーモアなども見どころである。



この連作は、世界中の都市で撮影されているということもさることながら、出演者が豪華であるということも一つの見どころである。主演は、『PARIS』(2008)や『ムード・インディゴうたかたの日々』(仏: L'Écume des jour) (2013)で有名なフランス人俳優のロマン・ドリス(Romain Duris)である。ドリスは、自分のお気に入りの俳優さんであり、『PARIS』などで演じたシリアスな役から、2010年の『ハートブレイカー』(仏: L’arnacœur)などで演じたような少しおチャラけた役など、幅広くこなすことのできる今引っ張りだこの役者である。それに加え、2001年の『アメリ』(仏: Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain)や2006年の『ダヴィンチ・コード』に出演している、世界的に言わずと知れたフランス人女優のオドレー・トトゥ(Audrey Tautou)も出演している。その他、この連作でセザール賞を受賞しているベルギー出身のセシル・ドゥ・フランス(Cécile De France)や『シャーロック・ホームズ』にも出演しているケリー・ライリー(Kelly Reilly)など豪華出演者が名を連ねるのがこの三部作である。今回の最終作では、カナダ人モデルのサンドリン・ホルト(Sandrine Holt)がフランスの演じるイサベル(Isabelle)の同性愛者の同居人として出演している。また、Brefという短めのフランスのテレビ番組の主演のカイヤン・コジャンディ(Kyan Khojandi)がちょっろっと出てくるあたりなどが個人的にツボである。

第一作目の『スパニッシュ・アパートメント』では、ドリスの演じるザヴィエがエラスムス・ムンドゥスの奨学生として、スペインのバルセロナで経済学を勉強しに行くという話である。ザヴィエはヨーロッパ各国から来た留学生と共にアパートメントをシェアすることになる。日本でのプロモーションで使われていたキャッチコピーの「ひとつのアパートに七つの国の青春」の通り、そのアパートの住人は全員違う国出身で、違う言語話者という国際的な空間に居心地の良さを感じるザヴィエ。母国フランスに置いてきたトトゥ演じる彼女のマルティンヌとは次第に心が離れていく。コメディーテイストなのは終始変わらず、バルセロナという異文化空間で奔走するザヴィエの青春の物語。
個人的には、第一作目が一番印象に残っている。その理由の一つに、この映画を見たのが自分がオレゴン大学に留学していた時に見たからだ。アメリカとスペインで国は違えど、なんとなくザヴィエに自分を重ね合わせて見たというのが大きな理由だろう。異文化や言語の壁で苦労した経験が、よりこの映画を印象的にしたのかもしれない。
第二作目の『ロシアン・ドールズ』では、スペインでの学生生活から5年後の話である。小説家になるために執筆活動を続けるザヴィエは、バルセロナでかつて住まいを共にしたイギリス出身のライリー演じるウェンディーと一緒に働くことになる。パリとロンドンを往復しながら多忙な日々を続けるザヴィエは、ウェンディーと次第に親密な仲になっていく。


そして、第三作目の『ニューヨークの巴里夫』では、40歳になったザヴィエがニューヨークで奔走するという物語である。ニューヨークにいる間、精子提供や偽装結婚など、おそらくほとんどの人が経験しないであろうことを経験するザヴィエ。人生の複雑さがある種、この映画のテーマである。異文化と恋愛の「青春三部作」の最終作として、ザヴィエという人間の人生の奇想天外さ垣間見れる物語となっている。(あまり喋るとネタバレになるのでこの辺で・・・笑)ちなみに、ザヴィエとウェンディの間には、トムとミアという二人の子供がいるのだが、この長男のトムが随所で見せる、大人のような配慮や子供ながらの可愛さが個人的にこの映画の好きな点である。
現在、自分がアメリカに留学しているという状況や年齢を考えると、やはり『スパニッシュ・アパートメント』のザヴィエに自己投影をしてしまう自分がいる。20年後には、自分はザヴィエのような奇想天外な人生を歩んでいるのだろうか。『ニューヨークの巴里夫』は、そんなことを問いたくなる、映画であった。ぜひご覧あれ。

Tuesday, December 23, 2014

ZAZ - Paris Sera Toujours Paris / パリはいつだってパリ (In Japanese)

今回は、ZAZのシャンソン・トリビュートアルバムであるParisに収録されている“Paris Sera Toujours Paris (パリはいつだってパリ)”という曲の自分なりの和訳になります。次に投稿する記事で少しこの曲の歴史的背景等の説明をしたいと思っています。




ZAZ(本名Isabelle Geffroy)は、アンドロ=エ=ロワール(Indre-et-Loire)県の都市であるトゥール(Tours)出身のフランス人歌手です。シャンソン、ジャズ、ソウルなどの様々な歌のスタイルが絡み合っている、まさにスタイルのmélange(mixture)が、彼女の歌の特徴であると言えるでしょう。さらに、彼女の特徴である若干ハスキーな声が、歌全体に奥深さと一度聞いたら忘れられない印象を生み出しています。ZAZは、自身の音楽に影響を与えた要素として、ヴィヴァルディの『四季』やジャズシンガーであるエラ・フィジェラルド(Ella Fitzgerald)やシャンソン歌手のエンリコ・マシアス(Enrico Macias)を挙げています。

1980年に、スペイン語教師の母と電気工の父の元に生まれ、5歳の時から兄弟姉妹たちとともに地元の音楽学校であるConservatoire Francis Poulenc de Toursに通い始め、そこで彼女のミュージシャンとしての基礎が築き上げられていくことになります。94年には、両親の離婚をきっかけにボルドー(Bordeaux)に移り住み、彼女が20歳の時には、地域協議会からの奨学金で、CIAM(Centre d’information et d’activités musicales)音楽学校に通えることになります。2001年から、ブルースやジャズのバンドの歌手として下積み時代を経験し、2006年にパリにより大きな機会を求めて移り住みます。

2010年に自身の最初のアルバムであるZAZ(邦題『モンマルトルからのラブレター』)に収録されている “Je veux” という曲が大ヒットし、フランス音楽界だけではなく、ヨーロッパ中が彼女を注目し始めます。フランスのテレビ雑誌であるTéléramaは、ZAZの歌声を “une sacrée voix(神聖なる歌声)”と評価しました。このアルバムは、ヨーロッパ全土でトップ10に入る記録的大ヒットで、フランス国内では堂々の一位を獲得しています。2011年には、この功績を認められ、European Border Breakers Awards (EBBA)を受賞し、その後も、着々と知名度を上げていき、2013年の彼女自身2枚目のアルバムであるRecto Versoや今年発売されたフランスを代表するシャンソンのトリビュートアルバムであるParisはヨーロッパ各国の音楽チャートではトップ10に入ってくるという人気ぶりです。

今回紹介する、“Paris Sera Toujours Paris”という曲は、フランスとアメリカをまたにかけて活躍したフランス人俳優のモーリス・シュヴァリエ(Maurice Chevalier)が1939年の11月に発表した曲で、その後、フランスのシャンソンの代表的な曲の仲間入りを果たすことになります。この曲を理解する際に欠かせないのが、おそらくモーリスが曲を出した年の歴史的背景でしょう。この曲が発表される一ヶ月前の1939年の10月のパリはどのような状況だったのかということに関しては、また別の記事で扱うことにしましょう。
それでは、フランス語の歌詞と自分なりの和訳、そしてコピペの英語訳をどうぞ。フランス語も和訳もまだまだ発展途上ですので、大目に見ていただけると助かります。笑

Paris Sera Toujours Paris

Par précaution on a beau mettre
Des croisillons à nos fenêtres
Passer au bleu nos devantures
Et jusqu'aux pneus de nos voitures
Désentoiler tous nos musées
Chambouler les Champs Elysées
Emmailloter de terre battue
Toutes les beautés de nos statues
Voiler le soir les réverbères
Plonger dans le noir la ville lumière

Paris sera toujours Paris !
La plus belle ville du monde
Malgré l'obscurité profonde
Son éclat ne peut être assombri
Paris sera toujours Paris !
Plus on réduit son éclairage
Plus on voit briller son courage
Plus on voit briller son esprit
Paris sera toujours Paris !

Pour qu'à ce bruit chacun s'entraîne
On peut la nuit jouer d'la sirène
Nous contraindre à faire le zouave
En pyjama dans notre cave
On aura beau par des ukases
Nous couper l'veau et même le jazz
Nous imposer le masque à gaz
Des mots croisés à quatre cases
Nous obliger dans nos demeures
A nous coucher tous à onze heures

Paris sera toujours Paris !
La plus belle ville du monde
Et quand les restrictions abondent
Gentiment il en prend son parti
Paris sera toujours Paris !
On a beau réduire son essence
On n'réduira pas sa confiance
Sa bonne humeur et son esprit
Paris sera toujours Paris !

Bien que ma foi, depuis octobre
Les robes soient beaucoup plus sobres
Qu'il y ait moins d'fleurs et moins d'aigrettes
Que les couleurs soient plus discrètes
Bien qu'aux galas on élimine
Les chinchillas et les hermines
Que les bijoux pleins de décence
Brillent surtout par leur absence
Que la beauté soit moins voyante
Moins effrontée moins provocante...

Paris sera toujours Paris !
La plus belle ville du monde
Même quand au loin le canon gronde
Sa tenue est encore plus jolie...
Paris sera toujours Paris !
On peut limiter ses dépenses,
Sa distinction son élégance
N'en ont alors que plus de prix
Paris sera toujours Paris !

和訳

パリはいつだってパリ

仮に予防措置として
家の窓に木枠をはめ込んだとしても
店の窓を青色に染めたり
車のタイヤまでも青色に染めたとしても
美術館から絵画をすべて取り除いたとしても
シャンゼリゼ通りを上下逆さにしたとしても
粘土を使って
彫像の美しさの全てを包み込んだとしても
夜で街灯を覆い隠そうとしても
光の街を闇に陥れようとしても

パリはいつだってパリ
世界で最も美しい街
深淵な闇に包み込まれようとも
この街の輝きはくすむことはない
パリはいつだってパリ
この輝きを抑え込もうとすればするほど
街の勇気はより掻き立てられ
街の活気がより際立つだろう
パリはいつだってパリ

この騒音に慣れてしまっても
夜のサイレンと遊びふけっても
ふざけまわってる時に
パジャマのまま地下室に閉じ込められても
たとえどんな命令が下っても
水を止められ、ジャズができなくなっても
ガスマスクをつけさせられても
4文字だけのクロスワードをやらさせられても
家では強制的に
全員11時までに寝なければならなくても

パリはいつだってパリ
世界で最も美しい街
どんな規制が多い時でも
この街はそれらと上手く折り合いをつける
パリはいつだってパリ
たとえ本質をぼやけさせようとも
この街の自信は消えることはないだろう
ユーモアと活気も消えないだろう
パリはいつだってパリ

この10月から、信念を貫いてはいるけど
衣服が暗く汚れていっても
花が少なくなり、エイグレットを付けられなくなっても
全ての色が希薄になっていっても
終わった祝祭の後で
高価な宝石と同等の
オコジョとアーミンの毛皮が
それらの不在で際立っていても
美しさがかけ、派手さを失い
お粗末で、挑戦的でなくなってしまっても

パリはいつだってパリ
世界で最も美しい街
遠くで大砲が鳴り響いても
洋服がいつにもましてきれいなのさ
パリはいつだってパリ
出費を制限されようとも
この街の洗練さと優美さは
どんなものよりも価値があるのさ
パリはいつだってパリ

English Translation

Paris will always be Paris

For all this nailing as a precaution
Transoms to our windows
Giving our shop windows
And even the wheels of our cars a coat of blue
Removing paintings from our museums
Turning the Champs Elysees upside down
Swaddling with beaten earth
All the beauties of our statues
Veiling our street lamps at sundown
Plunging the City of Light into darkness

Paris will always be Paris
The most beautiful city in the world
For all the deep darkness around
Her sparkle cannot be dulled
Paris will always be Paris
The more you subdue her lights
The more you see her courage shine
The more you see her wit sparkle
Paris will always be Paris

So that everyone may get used to their noise
You might well play hooters at night
And force us to clown around
While in pyjamas in our cellars
No matter how many decrees
Will cut off our water and even our jazz
Impose gas masks on us
Or do four-square-only crossword puzzles
Make it compulsory for all of us at home
To go to bed at eleven sharp

Paris will always be Paris
The most beautiful city in the world
And when restrictions abound
She gently comes to terms with them
Paris will always be Paris
You might ration her petrol
You won’t lessen her confidence
Her good mood or her spirit
Paris will always be Paris

Even though, upon my word, since last October
Dresses have turned a lot more sober
With fewer flowers and fewer aigrettes
And colours much more subdued
Even though gala dinners have done with
Chinchillas and ermines
Decent jewelry has been conspicuous
Mainly by its absence
And beauty is less showy
Less cheeky less provocative

Paris will always be Paris
The most beautiful city in the world
Even when cannons roar in the distance
Her dress is all the prettier
Paris will always be Paris
You can restrict her expenses
Her distinction her elegance
Become all the more priceless
Paris will always be Paris

Sunday, December 21, 2014

Die-in at Easton on December 20, 2014 (In Japanese and English)




(English translation is available below the article in Japanese.)

今回は、オハイオ州コロンバスにある、ショッピングモールのイーストンで行われたダイ・イン運動についての報告です。私も写真係として参加させていただきました。
2014年12月20日、クリスマスも目前に控え、家族連れで賑わうショッピングモールのイーストン(Easton)において、人々の注目を一際浴びるような出来事が起きました。いわゆる、ダイ・イン(die-in)と呼ばれるプロテストです。ダイ・インとは、あたかも死んだかのように地面に横たわる集団行動・プロテストのことを指します。おそらく、1960年にグリーンスボロー・フォー(Greenboro Four)を筆頭に、ノースキャロライナで起きたシット・イン運動の流れを汲んでいると考えることもできる運動です。


今回のダイ・イン運動が起きたのは、紛れもなく、ファーガソンで起きたマイケル・ブラウン殺害事件に関して、11月24日の大陪審の判決以後に起きている一連のプロテスト運動の一環として起きたものだと言えるでしょう。この事件に関しては、今後も記事をあげていきますが、簡単に要約するのであれば、ミズーリ州ファーガソンにおいて、18歳の黒人青年のマイケル・ブラウンが白人警察官のダレン・ウィルソンに射殺されたという事件です。大陪審では、ウィルソン氏は不起訴という判決が出たことにより、アメリカ全土で大規模なプロテストに発展しました。ダイ・インがこの一連のプロテストの象徴になっているのには、マイケルの遺体が射殺された数時間後も道路に放置されていたという事実と無関係ではありません。アメリカ全土でダイ・インが行われており、その影響は国内だけに留まらず、世界各国にも波及しています。
さて、私の現在住んでいるオハイオ州というのは、警察による暴力(Police Brutality)という観点で言えば、アメリカでも最も悪名高い州の一つと呼べるでしょう。私がアメリカに来てからここ4ヶ月の間で、すでに3人以上の黒人の若者達の命が警察官の手によって奪われました。タミル・ライス(Tamir Rice)、タニシャ・アンダーソン(Tanisha Anderson)、ジョン・クロフォード3世(John Crawford III)、これらの事件に関しては、今後別々に記事にしようと思っていますが、水面下ではより多くの犠牲者が存在しているでしょうし、アメリカという国単位では、年間数千人の人、特にアフリカ系アメリカ人が警察による暴力の犠牲者となっています。マイケル・ブラウンの事件を過小評価する訳ではありませんが、この事件はあくまでも氷山の一角であったということがよくわかるでしょう。アメリカの抱える問題の大きさそして根深さが、この一連のプロテストでよく示されていると言えます。


そんな文脈で考えてみると、私のいるオハイオ州コロンバスでダイ・イン運動が行われるのにも納得がいくでしょう。今回は、警察による妨害を避けるために、あえてソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)を通しての人々への呼びかけは避けました。人々がクリスマスの買い物で溢れかえる夕方ごろをターゲットに、参加者はオーガナイザーの方々を中心にイーストンのショッピングモールのフードコート付近で待機しました。合図と同時に、 “Black Lives Matter”と書かれた旗がフードコートの2階から掲げられ、歌と同時に参加者全員が地面に死んだように横たわり始めました。4分後、参加者は起き上がり、 “Black Lives Matter”や “No Justice No Peace”という掛け声とともにイーストンのモール内を行進しました。
今回イーストンで行われたダイ・インは、平和的かつ建設的なプロテストであり、人々の注目を集めという観点では大成功であったと言えるでしょう。もちろん、今回がこの運動の終着点ではありません。警察による暴力が目に見える形で減っていくことを確認できるまで、この運動は続いていくでしょうし、次第に運動が衰えていかないように、常に人々の注目を集め続けなければいけないでしょう。


最後に、告知になりますが、1月17日の土曜日に、自分の所属するオハイオ州立大学のアフリカンアメリカン・アフリカンスタディーズの大学院生とVoices of Black Academy (VBA)が主宰する、Effective Steps Towards Resistanceの第2回目が開催される予定になっています。アメリカが抱える警察の暴力の問題に関して、コミュニティーの方々と一緒にディスカッションを進め、実際に解決策を打ち出していくことがこのイベントの目的になります。前回は150人以上の方々がディスカッションに参加していただきとても感謝しております。引き続きのご参加をお待ちしております。日時や場所等に関しては、追って連絡しますので、興味のある方はぜひご参加ください。

English Translation
This is a rundown on the ‘die-in’ movement which took place at Easton Town Center in Columbus, OH.
On December 20, 2014, a barn-burning event really caught people’s eyes at Easton, a shopping mall bustling with people and families standing on the verge of Christmas. It was a protest known as ‘die-in’. Die-in is a collective direct action of the people who lay down on the ground as if they were dead. Perhaps, it can be said that die-in is descended from the sit-in movement which was held in North Carolina since 1960 organized by the Greensboro Four. 
It is obvious that this die-in movement at Easton was a part of ongoing protests sparked by the Grand Jury decision on the Michael Brown Case on November 24. As far as this incident, I will continuously follow the case through the media and post some articles about it on my blog but I recapitulate briefly the incident here as well. Michael Brown, a 18 years-old and unarmed black boy was shot and killed by Darren Wilson, a white police officer, in Ferguson. The Grand Jury decision of no indictment against Wilson gave rise to the nationwide and massive protest in the United States. The die-in movement became a symbol of these series of protests due to the fact that the deceased body of Michael Brown was left out on the road for a few hours. This die-in movement is performed throughout the country and its influence is not limited to the domestic sphere but to the global scale.

It can be said that the state of Ohio, where I am currently living, is one of the infamous states in terms of police brutality in America. During these 4 months since I came to the United States, three black youths were killed by the hands of police officers within the state of Ohio. Tamir Rice, Tanisha Anderson, and John Crawford III are the victims of police brutality in Ohio. Concerning these incidents, I will write up individually as articles. These incidents represent the fact that there would be more than thousands unreported victims of police brutality, especially African Americans, below the surface. It is not my intention to minimize the Michael Brown case but it became obvious that case was nothing but a tip of iceberg. These series of protests indicate the magnitude and depth of what America is confronting now.  
By contextualizing Columbus, OH, it would make more sense why the die-in movement was conducted. This time, in order to avoid the interference by the police, the organizers did not call for people to be engaged in the die-in through the SNSs. The participants waited for a cue by the organizers at the food court of Easton, packed with holiday shoppers during the evening. At the same time of the cue, the banner “Black Live Matter” was put up from the second floor and people collapsed on the floor as if they were dead. 4 minutes after, the participants woke up and took up a march throughout the mall with outcrying “Black Lives Matter” and “No Justice, No Peace”.   
The die-in at Easton ended up being a peaceful and constructive protest. In a sense that the die-in captured a lot of people’s attention, it can be said that the protest was such a successful movement. Needless to say, this times is not the terminus of the protests. Until we actually see the declines of police brutality in a visible manner, the entire movement will be definitely continued and there is no way to let the movements fizzling out. It is significant to keep people’s attention towards these series of movements.


Finally, I need to make an announcement here. On January 17, 2015, we, the Ohio State University Department of African American and African Studies graduate students and Voices of Black Academy (VBA), will host another event called “Effective Steps Towards Resistance”. The objective is to hammer out some concrete solutions against police brutality, which America is confronting now, by having conversations with people from communities. I was truly grateful that more than 150 people participated in the discussions last time. We look forward to making this exciting event a reality and hope that you too are eager to be involved. I will keep you posted about the time and place for the event on my blog as well. Please come and join in us!! 

Friday, December 19, 2014

TAL - À l'international / 私の心は海の向こう (In Japanese)

初投稿になります。今回は、イスラエル生まれのフランス人ポップシンガーのTALのÀ l’international(私の心は海の向こう)という曲を紹介です。
TALは、1歳の時に、両親とともに移民としてフランスに移り住みました。TALは、ヘブライ語で「朝露」という意味だそうです。小さい頃から両親の元で音楽を嗜み、3歳の頃にはピアノ、ギター、ダンスなどをすでに多彩な才能を発揮し始めました。モダンジャズなども幅広く挑戦し、Michael Jacksonの大ファンであることも知られています。
La Musique mon angeという曲で2010年にデビューを果たし、その後も飛ぶ鳥を撃ち落とす勢いでフランスの音楽界を駆け巡っています。2011年には、自身初アルバムのLe droit de rêverをリリース。そのアルバムに収録されている、彼女の初のヒット曲となったLe sens de la vieは、フランスの音楽チャートで4位にまで上り詰めました。ベルギーでは堂々の1位‼︎このアルバムには、Je prends le large、On avanceやジャマイカ人ラッパーのSean PaulとフィーチャリングをしたWaya Wayaという曲も収録されています。
今回紹介する、À l’internationalという曲は、2013年にリリースされたÀ l’Infiniというアルアムに収録されています。このアルバムには、アメリカのラッパーFlo RidaとコラボしたDanseというポップな曲も収録されています。
À l’internationalという曲を初投稿の題材にした理由は、彼女のイスラエル出身のフランス人という経歴や彼女のエスニシティが、この曲のエキゾチックなリズムに反映されていて、彼女の音楽の象徴であると僕が捉えているからです。TALの美貌だけでなく、彼女の音楽性は、フランスの音楽界に新風を巻き起こしていると言っても過言ではないでしょう。






À l'international

J'aimerais bien faire de grands voyages
Découvrir des pays sauvages,
Tous ces trésors que l'on nous cache
Les mines d'or que les hommes s'arrachent
Savoir à quoi ressemble la Louisiane
Et traverser l'Amérique en décapotable

Mais toi tu m'emmènes je ne sais où
Tu me dis je t'aime un peu partout
Tu sais faire voyager mon cœur
À l'international
Toi tu me balades chaque jour
Tu es le plus beau des rendez-vous
Lorsque tu me dis que tu m'aimes
À l'international

J'ai des projets tout plein la tête
Des valises qui sont toujours prêtes
Et ma guitare pour te chanter
Que l'essentiel est à mes côtés
Je me promène dans tes yeux
Dans ton monde merveilleux
Tu es l'unique continent qui me rend heureuse

Mais toi tu m'emmènes je ne sais où
Tu me dis je t'aime un peu partout
Tu sais faire voyager mon cœur
À l'international
Toi tu me balades chaque jour
Tu es le plus beau des rendez-vous
Lorsque tu me dis que tu m'aimes
À l'international (Hey yo)

One two break it to one time for your mind
This is how we do it, don't stop the feelin'
The mood is right baby boy, don't break it
You know I like the stars, damn I like the way you do it
Smile for me 'cause your smile is so beautiful
Talk to me the way you talk to me is so beautiful
Dance for me 'cause your body body body yeah baby baby
Is so unbelievable

Mais toi tu m'emmènes je ne sais où
Tu me dis je t'aime un peu partout
Tu sais faire voyager mon cœur
À l'international
Toi tu me balades chaque jour
Tu es le plus beau des rendez-vous
Lorsque tu me dis que tu m'aimes
À l'international

Mais toi tu m'emmènes je ne sais où
Tu me dis je t'aime un peu partout
Tu sais faire voyager mon cœur
À l'international
Toi tu me balades chaque jour
Tu es le plus beau des rendez-vous
Lorsque tu me dis que tu m'aimes

À l’international × 5

和訳

私の心は海の向こう
長旅に出かけたいの
まだ見ぬ未開の国々を開拓しに
隠されてきたすべての宝石たち
男たちが掘削している黄金の数々
ルイジアナがどんな感じか知るために
アメリカ中をオープンカーで渡り歩くために

でも、あなたは、私の知らない場所に連れて行くの
どこでも「愛してる」とあなたは言うわね
あなたは、私の心の揺さぶり方を知ってる
私の心を海の向こうへ持っていく方法を
毎日あなたは私を散歩に連れていく
最も美しいデートを私にしてくれる
あなたが私に「愛してる」と言う時
私の心は海の向こう

頭の中はやりたい事でいっぱいなの
いつでも私のキャリーバックは準備万端
私のギターは、あなたに歌うためにあるの
大事なものは私のすぐそばにある
あなたの目の中を歩いていきたい
あなたの素晴らしい世界の中を
あなたは私を幸せにする大陸なんだから

でも、あなたは、私の知らない場所に連れて行くの
どこでも「愛してる」とあなたは言うわね
あなたは、私の心の揺さぶり方を知ってる
私の心を海の向こうへ持っていく方法を
毎日あなたは私を散歩に連れていく
最も美しいデートを私にしてくれる
あなたが私に「愛してる」と言う時
私の心は海の向こう

1、2のタイミングであなたの心に一度だけ打ち明けるわね
これが私たちのやり方なの、だから感じることをやめないで
気分はちょうど良いの。だから台無しにしないでね
私が星を好きなの知ってるでしょ?あなたのやり方が好きでたまらないの
微笑んでほしい、だってあなたの笑顔が美しいから
あなたが私に話しかける方法で話しかけて欲しいの、だってそれが美しいから
私のために踊ってよ、だってあなたの体は信じられないくらい美しいんだから

でも、あなたは、私の知らない場所に連れて行くの
どこでも「愛してる」とあなたは言うわね
あなたは、私の心の揺さぶり方を知ってる
私の心を海の向こうへ持っていく方法を
毎日あなたは私を散歩に連れていく
最も美しいデートを私にしてくれる
あなたが私に「愛してる」と言う時
私の心は海の向こう

でも、あなたは、私の知らない場所に連れて行くの
どこでも「愛してる」とあなたは言うわね
あなたは、私の心の揺さぶり方を知ってる
私の心を海の向こうへ持っていく方法を
毎日あなたは私を散歩に連れていく
最も美しいデートを私にしてくれる
あなたが私に「愛してる」と言う時
私の心は海の向こう

私の心は海の向こう× 4

English Translation

Worldwide

I would love to embark on long journeys
To explore wild countries
All that treasure hidden by
Gold mines that men are extracting
To know what Louisiana looks like
And to travel across America in a cabriolet

But you take me to I don't know where
You say "I love you" a bit of everywhere
You know how to take my heart on journeys
To abroad
You take me for a walk every day
You are the most beautiful date
When you say you love me
Worldwide

I have a lot of plans in mind
My luggage always ready
And my guitar for singing to you
The essential is by my side
I walk in your eyes
In your wonderful world
You are a unique continent that makes me happy

But you take me to I don't know where
You say "I love you" a bit of everywhere
You know how to take my heart on journeys
To abroad
You take me for a walk every day
You are the most beautiful date
When you say you love me
Worldwide (Hey yo)

One two break it to one time for your mind
This is how we do it, don't stop the feelin'
The mood is right baby boy, don't break it
You know I like the stars, damn I like the way you do it
Smile for me 'cause your smile is so beautiful
Talk to me the way you talk to me is so beautiful
Dance for me 'cause your body body body yeah baby baby
Is so unbelievable

But you take me to I don't know where
You say "I love you" a bit of everywhere
You know how to take my heart on journeys
To abroad
You take me for a walk every day
You are the most beautiful date
When you say you love me
Worldwide

But you take me to I don't know where
You say "I love you" a bit of everywhere
You know how to take my heart on journeys
To abroad
You take me for a walk every day
You are the most beautiful date
When you say you love me

Worldwide × 4